2011/12/31
2011年を振り返って①
激動の2011年が終わる。日本にとって受難の年だった。3月10日東北で中規模の地震があり釜石に赴任している友人の
安否を気遣い電話を入れた。かなりの揺れを感じたが、特別な被害はないとの回答に案じたが『くれぐれも用心を!』、と電話を
切った。
翌3月11日、行きつけのKEN'S BARの5周年記念パーティーに仲間と出かけた。
午後6時から始まったが、折々の会話で東北で大きな地震があったらしいという声を聞いた。
後で分かったことだが、この日の午後2時46分にM9の大地震と大津波が東北沿岸地域を
壊滅した。日本がひっくり返った。福島県の原発が津波にやられメルトダウンを起こした。
阪神・淡路の際は村山首相。そして今回は菅首相。どうしようもない無能な政治家がトップに
居る時になぜか大惨事が起こる。この国にとってほんとに不幸な時だ。
翌朝、なんとか釜石の友人に連絡が取れ生存を確認した。
4月8日(金)友人の浅利君と岩手に向かった。目的は岩手在住の友人たちの
安否確認だ。秋田空港に降り、高速でまず釜石を目指した。電気が不通で信号は機能不全。
遠野辺りはまだ大きな被害の様子は見られなかったが、40Km先の釜石に着いた途端
様相が一変した。街がない・・・。
あるはずのない"もの"が、あるはずのないところにある。津波の恐ろしさをまざまざと
見せつけられた。
釜石在住の友人の安否を確認し、被災地沿岸部を北上し宮古に向かった。
大槌町~陸中山田、何処もかしこも津波に飲み込まれ悲惨な光景が続く。
宮古在住の友人も元気でいてくれた。
その足で一路100Km先の盛岡を目指し、ここでも友人三人と会い元気な顔を見て
ほっとした。
写真は大槌町で撮ったもの。これが今回写した唯一の携帯での写真だ。
カメラを持参していったが、あまりの悲惨な光景にレンズを向ける勇気を失くしてしまった。
今回の岩手行、 3日間の予定を組んでいたが仲間の安否が確認できたので
二日間で切り上げ帰阪した。
4月2日 友人の小野君の誘いを受け阪神甲子園球場で開催されている選抜高校野球の
取材に同行した。甲子園球場バックネット裏上部の記者席に陣取り東海大相模の試合を
観戦した。試合終了後、TVでよく見かける通路での監督インタビューに立ち会った。
NHK記者の後、一般記者向けのフリーで真っ先に手を挙げて監督に迫った。
後で知ったことだが、相模の門馬監督は、かなり有名な名監督と聞いて驚き。
この日は3塁側アルプスの西宮市民特別500円席での観戦。
終始リードの展開で開幕戦見事勝利。
地元の中学生と"がんばろう日本"の応援メッセージを掲げて
大喜びした。こいつら、可愛かったわ!