2011/07/27
大阪同友会に紹介されました
【人間尊重の経営で技術を次世代へ 】
~日本のもの造り ここにあり~ もの造りの根底を支える人々の業界
平野支部の株式会社冨士精機を紹介します。
教師の道を歩んでいた田村社長が、大好きな父親の余命三ヶ月宣告を受けて株式会社冨士精機に入社したのは1990年七月のことでした。『親父を一番喜ばせることは社業の継承だ』、と考えた結果だそうです。そしてその年の十一月に社長に就任されました。折しもバブル景気の絶頂期、社長が33歳の時です。これが田村社長の経営者としての第一歩です。
田村社長が経営する株式会社冨士精機とはどんな会社なのでしょうか?
私達の生活文化は多くの機械工業によって生産された様々な製品を使用することによって快適な環境が作られ、豊かな未来が切り開かれています。こうした製品を生み出すためにあるのが工作機械であり『マザーマシン』と言われる所以です。この工作機械の重要部品であるボールスクリューを製造しているのが冨士精機です。
事業低迷の中 気づいたこと
社長に就任した翌年にはバブル崩壊が起こりました。急激な受注減の為、業界全体もかってない不況を経験することになります。日本の民間企業全体が瀕死の状態にあり、その影響は冨士精機にも容赦なく波及してきました。適正を超えた安値受注や価格競争の波にのまれ業績低迷が何年も続きます。この間、社長が中学生の時から働いておられた古株の社員に解雇を言い渡すという辛い経験をされたり、多額の借入金を返済する為、保険金が頭をよぎりこのまま事故で死んだら・・・と考えたりもし、ついに九八年には廃業を決意されました。
会社整理で動いている最中、得意先の社長が社を訪れます。『我社には冨士精機の技術が必要だ。廃業など考えず一緒にやっていこう』、と励まされます。価格競争で苦しんでいた冨士精機を冨士精機の技術が救ったのです。
何故冨士精機にはその技術があったのでしょうか?その質問に田村社長は「先代からの技術力の蓄積ですよ」と答えられました。我が国のもの造り、中でも『工作機械業界』の技術は、現場で試行錯誤を繰り返しながら無数の小さな失敗と無数の小さな成功の積み重ねによって形成されたものであります。つまり長い時間をかけて技術者や作業員たちが油や切粉にまみれながら集積したアイデアやノウハウの結晶であり、これらの「積み上げ型技術」は世界トップ10の内上位6社が日本企業で占めるこの業界での強みとなっています。冨士精機も同様、この「積み上げ型」技術の蓄積が後発メーカーに対して高い参入障壁を築き、冨士精機の競争力を高め価格決定において主導権を握る礎になっている訳です。
これを機に、コンパクトで力強い企業、減収増益企業を掲げ順調に業績を回復していきます。
技術の継承は地道な人づくりから
次に社長の考えられたことは、価格競争に打ち勝つ原動力である「積み上げ型技術」の継承です。先代からの長い蓄積があったからこそ株式会社冨士精機があるわけですから、その技術を次世代に継承しなければなりません。技術の継承は社員に於いてなされる訳ですから社員との関係作りが重要になってきます。社長がいくら先頭にたって現場で仕事をしても、組織として成り立っていない社内風土はもろいものです。なんとか社員が自主的に動くようにならないものかと感じていました。
それを手助けしたのが、同友会平野支部において自主的に運営が始まった「ほんまになんとかしよう会」でした。この会は、会員企業の幹部社員が経営指針実践に向けての考え方や仕事のあり方などを深め学びあう場です。そこに参加して刺激を受けた冨士精機の幹部社員が先頭となって、朝礼を社員同士で自主的に始めたり、日報を書く習慣を提案したりと日々変化してきたそうです。
社員の目線で作ったルールほど力強いものはありません。社長の知らない間に社員同士が話し合いホワイトボードに「ISO9001取得」というスローガンが掲げられているそうです。この幹部社員は株式会社冨士精機にとっては社員を束ねる「格さん」みたいな存在です。そして、社員同士の切磋琢磨の中、工場内でコツコツと技術を蓄積していく役柄の「助さん」も現れました。彼の現場での努力の甲斐あって、二年前から取り組んでいる "難素材" マグネシウム"の商品が本格的に量産体制に入るそうです。将来の戦略に向けて、冨士精機にマグネシウム加工という新しい付加価値が加わりました。
念願であった技術を継承していく為の風土がやっと社内に培われてきました。そして今、社長は社員から就業規則を作ってくださいと言われるまでになりました。社長と社員の間には就業規則を通じて強い絆と信頼関係が生まれようとしています。
社長は技術の継承という側面において、社員の独立を望んでおられます。社長はひとりでありそれを継承するのは数人だが、社員が独立して社長になれば数人の社長が生まれ、それぞれが社員を育て、そこからまた社長が生まれ・・・・・技術は脈々と継承されていくと考えておられます。
田村社長は10年の教師経験において数多くの卒業生を送り出されましたが、今度は経営者として独立という形で卒業生を送り出そうとされています。技術後継者を育てる行為は冨士精機の企業理念のひとつ『もの造りの楽しさ、大切さを次世代に伝える責を担います』にも当てはまります。技術力の向上は、結果として価格競争からの脱却を促し、自立的で質の高い企業になる為のキーワードなのです。
社員が社長として独立し、技術の継承をしていく日はきっとそんなに遠くないことでしょう。こうした小さな無数の集合体がそれぞれの分野で技術伝承を行う事で、日本のもの造りは途絶えることなく受け継がれるものだと感じました。